ジンブン独学ノートの実践編では、実際の研究について紹介します。研究へのモチベーションから、どのように日々の調査行われているのかまで、インタビュー形式でお届けします。
第八回は近代日本政治思想史研究のNさんです。今回のインタビューでは、政治思想史を専門としているNさんにお話をうかがいます。Nさんは一度公務員として霞が関にて役人を勤めたあと、大学院に戻る選択をしました。彼の研究内容と働く中での経験との関わりについても深ぼっていきたいと思います。
興味を持ったきっかけ
──本日はどうぞよろしくお願いします。役人の経験と大学院に戻るという選択肢、この二つがNさんの興味関心とどう混じりあって今に至るのかをぜひ伺えればと思います。
よろしくお願いします!インタビュアーのHさんとは十年来の友人なのですが、普段はこういった話をあまりしないので、少し不思議な感じがします。
──今日は改まった感じでいきましょう(笑)まずは簡単に自身の研究についてお話いただけますでしょうか?
私の専門は近代日本政治思想史です。現在は大正時代に大阪市長を務めた関一(せきはじめ)という人物の政治思想を研究しています。関に注目したのは、大風呂敷を広げると、大正時代における国家を相対化する営みのダイナミズムを、関を通じて明らかにできるのではないかと考えたためです。
──国家を相対化する営みとはどういうものでしょう?
少し図式的ですが、明治時代と大正時代を比較しながら説明します。明治時代の日本の目標は、何よりも近代化による国家の確立にありました。そしてそのひとつのゴールが日露戦争です。日露戦争に勝利して列強の仲間入りを果たしたことで、近代国家建設のプロジェクトはある程度達成されたという認識が広がりました。
しかしこのプロジェクトは、国家が人々にさまざまな形で負担を強いることで成立するものでした。日露戦争前後から、その負の側面がもたらす問題が次第に明らかになってきます。これにより、国家建設を第一とした明治の思想から、国家がもたらす諸問題を検討する大正の思想への転換がありました。この転換は、今まで絶対的な前提だった国家を相対化する営みとして捉えることができます。