このインタビューは全2回シリーズ
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ジンブン独学ノートの実践編では、実際の研究について紹介します。研究へのモチベーションから、どのように日々の調査が行われているのかまで、インタビュー形式でお届けします。

第六十六回となる今回のインタビューでは、クチャ(現在の中国新疆ウイグル自治区)の石窟寺院に描かれた仏教壁画を専門とし、ドイツに渡った壁画の断片を本来の石窟空間にデジタル復元して当時の人々の視覚体験を追体験する研究に取り組む、西域仏教美術史研究者の檜山智美さんにお話を伺います。

ベルリンで人生が変わった夏

——大学院は慶應ではなく、外に出られたんですね。

当時、慶應の美術史専攻は、基本的に西洋美術史か日本美術史の二択という構造だったんです。日本の大学における美術史研究自体、明治時代にヨーロッパから輸入された学問的枠組みに基づいているので、西洋美術史が前提となっており、その方法を応用した日本美術史の研究も行われてきましたが、西洋と東洋の中間にあたる西域、もしくは中央アジアの美術は、選択肢に入りにくいんですね。当時の指導教官から「このまま大学院に進学してもらうことは構わないが、いずれにしても専門の勉強については別のところで鍛錬を積んでほしい」という旨の助言をいただいたため、思い切って外部受験することにしました。

本当は中央アジア仏教美術史の大家である名古屋大学名誉教授の宮治昭先生のご指導を受けたかったのですが、先生が龍谷ミュージアム立ち上げのために移籍されるタイミングと重なってしまったため、たどり着いたのが、自分の志す研究のために必要となる様々なディシプリンを広く学べる東京大学大学院の比較文学比較文化専攻でした。

——駒場に進学されてからは、迷走もされたとか。

駒場では、比較文化の方法論や、仏教漢文の読み方など、現在の自分の学問の基礎となる重要なディシプリンを学ぶことができました。ただ、自分と同じ分野に関心のある方は、当時の比較専攻には一人もいなかったので、やみくもに焦りを募らせる日々でもありました。修士1年から2年にかけては、将来の展望が見えず、「もう就活するしかないかな」と思って一般就活も試みたのですが、当時はまだ圧迫面接が残っていて、人格を全否定されるようなことも言われて、ボロボロになりました。

修士2年の初めには「自分は本当に無力だな」と絶望していたのですが、そのときに「こんなに何もできない自分に最後に残っているのは、壁画のことだけだ」と思って。壁画が好きだという気持ちだけは、自分のどこを否定されようと変わらない。もう自分はこの道で生きていくしかないと、覚悟を決めたんです。

——ある種、腹をくくった。そこから、ドイツに行く機会がめぐってくるんですね。

自分が研究したい壁画のほとんどが、実は中国に残された石窟の遺跡の中ではなく、ドイツにあることが分かったんです。とりあえず現物を見に行こうと、バイト代を貯めてドイツに行きました。日本の知り合いの先生を通して、西域の仏教壁画を専門にしているドイツの先生とアポを取り、ベルリンで会うことになりました。私が修論で扱っていた壁画断片を含めて、世界最大の西域仏教美術のコレクションを所蔵しているベルリン国立アジア美術館を訪問したところ、キュレーターの先生と、西域仏教美術史分野の世界的な研究者3名と一緒に、常設展および収蔵庫へ壁画を見に行くことになったんです。

その場でキュレーターから「あなたがどういう研究をしているか話してちょうだい」と言われて。当時、英語もほとんどできなかったのですが、専門用語だけは知っていたので、冷や汗をかきながら、なんとか専門用語と手持ちの写真資料を組み合わせてプレゼンしました。

——どんなプレゼンをしたんでしょうか。

フランスの著名な東洋学者ポール・ペリオ(1878-1945)率いる探検隊が、第四次ドイツ探検隊(1913~1914)によってクチャの石窟壁画が大量に切り取られる前に撮影していた石窟内部の記録写真を見せながら、「この壁画断片はもともとこの石窟のこの壁面のこの位置にあって、その対面側に当たる壁画はこれで、空間全体から壁画の構成を読み解くと、これはマーンダータル王の説話として解釈できると思います」と伝えたところ、その場で先生方が目を丸くして「You are 100% right(あなたの説は100%正しい)」と言ってもらえたんです。それは当時、まだ誰も指摘していない新説でした。

すると、その流れで、キュレーターの先生が、「来年からマックス・プランク美術史研究所とうちの美術館で研究協定を始める予定で、壁画が扱える研究者を探しているんだけど、あなたうちに来ない?」と声をかけてくれたんです。人生が変わった夏でした。

それからは、「自分の生きる道はドイツにあるんだ!」と一念発起して、帰国した2日後からゲーテ・インスティチュートに通い始めました。

——熱意と行動力がすごすぎる。

その1年後に東京大学の交換留学制度を使って、まずミュンヘンに、その1年後にベルリンに留学しました。

——檜山先生は、「好き」を貫くだけでなく、それを面白がってもらえる環境を大事にされてきた方だなと感じます。

そうかもしれません。先週、東洋大学で優秀教育活動賞をいただいたのですが、シルクロードの仏教美術研究の魅力と面白さを、クイズ形式などを通して学生に分かりやすく伝える努力を評価していただきました。また、一般向け講演もご好評をいただくことが多く、たくさんの講演依頼をいただくので、昨年は17回の講演の機会がありました。自分の研究対象はこんなにも魅力的なんだという確信があって、その魅力を全力で伝えなければという、謎の使命感があるんです。

西域の壁画がとにかく可愛くて面白くて素敵なので、たくさんの人に壁画の良さを伝えたいという「壁画至上主義」なんです。本来はあがり症なのですが、授業や講演で壁画について喋っているときは全然緊張しません。なぜなら、「壁画が自分を通して喋っている」と自分に言い聞かせているからです。

——「壁画が自分を通して喋っている」!

そう。私自身はできるだけ透明な存在でありたくて、とにかく壁画の良さを伝えるための媒介になりたいだけなんです。スライドが綺麗だと褒めていただくことが多いのですが、講演の度、ミニ展覧会やテレビ番組を制作するような気持ちで資料を作っています。今回はこのテーマで、オーディエンスはこういう人たちで……という前提を意識した上で、一番響きそうなストーリーラインを考える。手持ちの材料をどの順番で見せたら気持ちの良い着地点になるか、というのは強く意識しますね。没にする判断もかなりします。

最後は、復元してみたら「誰にも見えない」と分かった壁画と、松明を持って巡る等身大の「涅槃空間」、そして20年前の自分を救うために立ち上げた研究会について伺います。