試し読み

『ジブンの世界はジンブンでできている』
第三部「哲学者と考古学者がフィクションについて考えてみた」より

ドラマで泣けるのはなぜ?

哲学者、考古学者、美学研究者。専門バラバラな三人が集まると、テレビドラマの感想戦でさえ、こんなにディープな「人文学」に早変わり!? 「ドラマで泣けるのはなぜ?」「演出にムカつくのはどうして?」 身近な「問い」から学問の扉が開く瞬間を、本書のハイライトである鼎談パートから特別にお届けします。

この鼎談に登場する研究者

  • 梶谷真司(かじたに・しんじ)
    専門は哲学、医療史、比較文化。「共に考える場」を作る活動を通じ、共同で思考する「共創哲学」を追究している。著書に『考えるとはどういうことか』など。
  • 折茂克哉(おりも・かつや)
    博士(歴史学)。ロシア科学アカデミー研究生などを経て、現在は大学博物館に勤務。専門は博物館学、先史考古学。
  • 岡田進之介(おかだ・しんのすけ)
    修士(文学)。専門は現代英米圏の美学におけるフィクション論・物語論。

司会

梶谷先生はテレビドラマがお好きですよね。ここまでの話に関連する経験はおありですか?

梶谷

僕は、似たジャンルのドラマを観ることが多くて。同じような話なのに音楽だけで泣いちゃうようなこともあれば、一方で演出とか、カメラワークとか、音楽の使い方でつまんないと感じることがありますね。実際にうまく作られてるとすごく気持ちが乗る。だけど、なんか乗れないものがあったりするんですよね。

私がそう感じるようになったきっかけははっきりしてます。皆さん『ケイゾク』っていうドラマご存じですかね。堤幸彦という人が撮った九〇年代末のドラマなんですけど、それを観たときにすごくショックを受けたんですよ。もうカメラワークや音楽の使い方が普通のドラマと全く違ってて。例えば食べ物を真上からスポンと撮ったり。なんかサンプルを撮るみたいな。人のアップを撮るときも半分だけ写したりとか。すごく変わったカメラワークをするんですよ。

折茂

人がそれを実際見る角度じゃないですよね。

梶谷

じゃないんです。全然違う。それでびっくりして、これどういう人が作ってるんだろうと。調べてみて堤幸彦という監督の名前を知りました。それからは彼の作品をほとんど観るようになったんです。ドラマを観るときに、それまでだったらどういう俳優が出てるとかどういうテーマかで選んでいたんですけど、それ以降は監督や演出、脚本が選択基準になりました。それからはあんまりハズレを観なくなりましたね。

折茂

なるほど。自分の感性と合う演出をやってくれるっていう信頼ですよね。

梶谷

そう。演出とか脚本がいいとドラマって作品として良くなる。逆に、役者はみんな演技が上手なはずなのに、ドラマとしてめちゃくちゃぎこちないっていうか、どうしようもないドラマもあったりして。そこに何かがあるっていうのが分かるんですよ。ただ「何か」なんですよね。好みだけの問題じゃなくて、「何か」あるんだと。

岡田

そうですね、演出にも上手さと下手さというか、美的基準みたいなものがあるということを最終的に自分は明らかにしたいと思っています。今の研究はその前提として成り立っていることを明らかにすることが目的です。

折茂

やはりそれはメディアは問わずに?

岡田

そこは重要なポイントですね。文学研究であれば文学、映画研究であれば映画といったようにバラバラでやることが多いのですが、その中にも共通する何かがあると自分は思っています。だからこそ、それらを包括する概念としてフィクションという言葉があると。そこに共通するメカニズムというか仕組みを議論したいですね。

梶谷

さっき岡田さんが言ってたことで一つ気になっていることがあるんですよね。現実のことに対して怖がったり泣いたりするけど、フィクションに対して怖がったり泣いたりするのって人はどの段階でそうなるのかなって。

例えば子どもは日常的にすぐ泣いたりするじゃないですか。同じように子どもがアニメを観て、喜んだり怖がったりは小さい頃からするんですけど、感動して泣くことはないんですよ。でも、ある日、娘がアニメを見ながら感動して涙を流しているのを見て、すごく成長したなって思ったんですよ。

楽しい・怖いという感情はあったと思うんですけど、感動して涙を流すっていうのはそれなりに成長しないとなかなか起きないなぁと。私たちも日常的に感動して涙を流すことってあんまりなくないですか。

折茂

まぁないですね。歳を重ねてさらに少なくなりました。

梶谷

僕ね、現実には親が亡くなったときも泣きもしないですけど、ドラマとか映画を観てるほうがはるかによく泣いちゃうんですよね。

折茂

なんでしょうね、それはいわゆる共感的なものですかね。

梶谷

そうですね。あと、泣かされてる感はあります。

逆に僕は人が死んで泣く・泣かせるってあんまり好きじゃなくて。映画を観ても、泣いて気持ち良かったときと、泣いてムカつくときと、ありますよね。いかにも乗せられたみたいな。でも人が死んでもいないし、特に悲しいことは起きてないんだけど、すごく泣けることもある。

あと、高校生の青春とか部活の映画やドラマでボロボロに泣いたりします。泣けるポイントのツボはそれぞれ違うんだけど、やっぱり気持ちのいい泣き方とそうでないのがあるのかなって。例えば、同じ「悲しい」でも、映画や小説で「雑な悲しみ方」をさせられたみたいなことありませんか? さあ人が死んだぞ、ほら悲しいだろうみたいな感じで見せられたり。しかも、それで実際泣いちゃったりすると、めちゃくちゃ悔しいんですよ。「俺、こんなので泣くのか!」って。

(この続きは本書で)

『ジブンの世界はジンブンでできている』書影

ジブンの世界はジンブンでできている

わかったことしか書かない哲学者×「研究」に興味がない考古学者×悩めるフィクション研究者

梶谷真司・折茂克哉・岡田進之介
四六判/272ページ/定価1,800円(+税)
2025年8月5日発売 ISBN 978-4-9913684-0-0

本文は書籍からの抜粋です。注は省略しています。