ジンブン独学ノートの実践編では、実際の研究について紹介します。研究へのモチベーションから、どのように日々の調査が行われているのかまで、インタビュー形式でお届けします。

第十六回となる今回のインタビューでは、「文学の読解技術」を情報学に応用するという独自のアプローチで、新たな研究領域を切り拓く、国立情報学研究所のの武富有香さんにお話を伺います。

異分野の交差点で見つけた「文学の技術」という価値

——大学院では、いよいよ言語と表現の問題に取り組めるようになったのですね。

はい。当初、修士論文で書こうと考えていたのは「二人称小説」についてでした。

——「あなたは〜だ」と、読者に語りかけてくるような、少し珍しい形式ですね。私もあまり読んだことがなくて、重松清『疾走』くらいです。

二人称小説を読んでいると、「あなた」と言われ続けることで、まるで自分が小説の登場人物であるかのような、奇妙な感覚に陥ります。でも、よく考えると、小説の中にいる「あなた」と、それを読んでいる私は別人です。そして何より、「あなた」に語りかけている、その語り手は一体誰なんだ、という疑問が湧いてきます。

——確かに。「あなたは誰なの?」となります。

その違和感を突き詰めていくと、実はごく当たり前だと思われている「一人称小説」も、かなり奇妙な形式なのではないか、と思えてきたんです。例えば「私は眠りに落ちた」という一文。本当に眠りに落ちてしまったら、その事実を語る「私」はどこにもいないはずですよね。そうした、一見「当たり前」とされている小説の慣習を、疑ってみたいと考えました。ですが、結局、修士論文ではロレンス・ダレルという作家の一人称小説についての論文を書きました。

——博士課程に進まれて、さらに探究を深めようと。

そのつもりだったのですが博士課程では完全に行き詰まっていました。書けなかったです。書けない理由というのは、自分の研究をディシプリンの中に位置付けることが難しいと感じていたことや、学振(日本学術振興会特別研究員制度)のような研究費の申請も通らず、モチベーションを保てなかったこと、経済的にも心理的にも苦しかったことなどがボディブローのように効いてきた感じがあります。当時は本当にどうしようもなく、八方塞がりだという感覚を持っていました。

——その状況をどうやって打開したのですか。

仕事を探すことにしました。外の世界とつながっていることが精神的な問題に大きくつながっていると直感していたからです。その時、たまたま見つけたのが、国立情報学研究所(NII)の求人でした。

——ついに情報学との接点が。

選んだ理由は単純で、「神保町(古書店の街)に近いから」「部屋と机があって、図書室もあるから」「研究をしていても怒られなさそうだから」というものでした。でも、この偶然の選択が、結果的にすごく「当たり」だったんです。

——どういうところが「当たり」だったのでしょう?

まず、人に恵まれたことですね。あと、情報学が、文学や哲学とは全く違う文化を持つ学問だったことです。情報学は「技術」の学問です。だから、ものすごくよく切れる刃物(優れた技術)を持っていれば、それで切るもの(研究対象)は、肉でも石でも金属でも何でもいい。

——そう考えると、とても自由ですね。

そうです。その良い意味での「節操のなさ」というか、貪欲さというか、学問としての懐の深さに衝撃を受けました。既存の枠にうまくはまらずに居場所のなさを感じていた私にとって、「何を扱ってもいいんだ」と思えたことは、本当に大きな救いでした。

——そこから、どのようにして研究の道へ進んだのですか?

最初は完全に事務の仕事をしていました。でも、研究所のランチタイムのイベントなどで話をしているうちに、「今、人文系の視点を持つ人がいないから、うちの研究プロジェクトを手伝ってくれないか」と声をかけてもらったんです。

——偶然のきっかけで、ご自身の居場所を得られたのですね。

はい。こうして、自分のやってきた学問と、情報学というディシプリンの違いに直面する日々を過ごすことになったわけです。