ジンブン独学ノートの実践編では、実際の研究について紹介します。研究へのモチベーションから、どのように日々の調査が行われているのかまで、インタビュー形式でお届けします。

第四十一回となる今回のインタビューでは、中国近現代文学を専門とし、作家・張資平の作品を「科学」と「身体」という独自の視座から読み解く、祝世潔さんにお話を伺います。

日本文化の原体験と研究への道のり

——本日はどうぞよろしくお願いいたします。祝さんは現在、中国近現代文学を専門とされ、特に20世紀初頭に活躍した作家・張資平(ちょうしへい)や、その周辺の文学的動向について研究されています。よろしくお願いします。

そうですね、私が育った環境の話から始めましょうか。私は1988年生まれで、中国の江蘇省、長江デルタにある都市で育ちました。

私の子供時代は、ちょうど中国が改革開放を経て高度経済成長期に差し掛かり、社会全体が大きく変わろうとしていた時期です。海外の文化が急速に流入してきて、日本や欧米の文学、映画、音楽などが若者たちの間で爆発的に広まっていました。

とはいえ、当時はまだ学生がお小遣いで自由に本を買えるほど裕福ではありません。ですから、クラスの誰か一人が話題の本を買うと、それがクラス全員に回覧されるんです。ボロボロになるまで回し読みをする、そんな熱気が教室にありました。

——まさに文化的な飢餓感と、新しいものへの渇望が混ざり合っていた時代ですね。具体的にはどのような作品に触れていたのでしょうか。

村上春樹や村上龍といった日本の現代作家は特に人気がありましたね。それから、映像作品の影響も大きかったです。アニメやトレンディドラマから長編の昼ドラまで、テレビでは常に吹替版が放送されていました。「日本のものを見ている」というより、気づいたら身近にあった、という感覚でした。

その後、私は18歳で吉林大学に進学するのですが、そこが中国の東北部にあって、冬になると極寒の雪に閉ざされる場所なんです。半年くらいは外で遊ぶこともままなりません。

——半年も雪に閉ざされる生活ですか。それは読書や思索にはうってつけの環境かもしれませんね。

ええ。寮の部屋には強力な暖房が入っていて、室内はとても暖かいんです。そこでひたすら日本のドラマを見ていました。『101回目のプロポーズ』や『東京ラブストーリー』といった、いわゆる日本の平成初期の恋愛ドラマです。「僕は死にましぇん!」というあの有名なセリフを、日本語の発音教材として何度も聞いていたわけです(笑)。

当時はまだ、自分が将来研究者になるとは思ってもいませんでした。ただ、そうしたドラマや小説を通じて、「翻訳家」や「ジャーナリスト」になりたいという漠然とした夢を持っていました。メディアを通じて広い世界と関わりたい、あるいは言葉を通じて文化を繋ぐ仕事がしたい、そんな憧れですね。

——日本文化への親しみは、大学に入る以前、もっと幼い頃からあったのでしょうか。

実は、小学校5年生のの夏休みに一度、日本を訪れたことがあるんです。当時、神奈川県の厚木市にゆかりのある方が資金を出してくださって、子供たちを日本でのホームステイに招待するというプログラムがありました。

1999年のことですが、初めて飛行機に乗って羽田空港に降り立ち、日本の一般家庭に一週間ほど滞在しました。日本語は少し勉強していましたが、新しい土地で見るもの聞くもの全てが新鮮で、右も左も分からない状態でした。 それでも、とにかく楽しかったという記憶が残っています。富士山を見に行ったり、少年少女スピーチ大会に参加したり、高級そうなアイスクリームを食べたり……。

——子供の目を通した、きらきらとした「楽しい日本」の原体験があったのですね。

そうですね。その時の記憶は純粋に楽しい思い出として残っています。その後の研究生活で触れることになる「対象としての日本」とはまた違う、肌で感じた原風景と言えるかもしれません。

次回は研究の核心に迫るプロセスについて伺います。