──学部を卒業した後は、大学院へ?
いえ、まだ大学院には進みませんでした。当時は現在と異なり、課程博士がなかった時代でした。大学院に行くというのは、必ずしも学位取得をめざすためのものではなく、私自身は研究者になろうという覚悟ももっていませんでした。
そんなわけで、そんなに大学院に行きたいかと言われれば、そうでもない。かといって、就職したいわけでもない。でも、何もしないのは体裁も悪いし、外国で生活をしてみたかったので、留学することにしました。最初はカリフォルニア大学バークレー校に行こうと思ったのですが、学費が高すぎて断念。それで学費がかからないドイツにしました。ドイツ語も勉強していましたし、ドイツ哲学にも興味はあったので。それで学部時代にベルリン自由大学からの留学生と友だちになっていましたし、ベルリンという町にも惹かれていたので、自由大学に行くことにしました。それで1989年の秋からまずケルンで語学研修を受けていたのですが、その時にベルリンの壁が崩壊しました。まったく予想外でした。そんなベルリンで生活することにワクワクしていましたね。
──では、ドイツでは今度こそバリバリ勉強を……
それが、ベルリンでもあまり勉強しませんでした。授業も少しだけ出席しましたが、これといって面白くなかったし、「研究ってこういうものなのか!」という刺激的な体験もなく……。人間そう簡単に生まれ変わらないですね(笑)。
──ドイツでも、日本の学部生時代と似たような感じになってしまっていたと……。授業に出ない間はどんなことをして過ごしていたんですか?
自宅でひたすらドイツ語の新聞や雑誌を読み漁っていました。後から話しますが、この期間に普通のドイツ語をざっと読む力をつけられたのは、大きな収穫でしたし、ドイツと日本の報道の在り方の違いも面白かったです。
例えば、1990年8月、湾岸戦争が起きたときのことです。ドイツの報道では、すでに戦争が起きる1か月前から「1か月後には戦争が始まる。どのようにこの戦争を終わらせるか?」という議論が始まっていました。一方、日本の報道はまったく違って、開戦直前まで「戦争は回避できる」という論調。おそらく、アメリカの指示のもとで、報道規制が敷かれていたんでしょう。新聞や雑誌で大量にドイツ語を読んでいたので、そういう報道の違いが手に取るようにわかりました。
次回は帰国後の話について伺います。