ジンブン独学ノートの実践編では、実際の研究について紹介します。研究へのモチベーションから、どのように日々の調査が行われているのかまで、インタビュー形式でお届けします。
第六十四回となる今回のインタビューでは、幸田露伴を出発点に、明治文学の口絵・挿絵から文学と美術のつながりを読み解く「画文学(がぶんがく)」を提唱している、出口智之先生にお話を伺います。
通学路の一言から露伴へ
——そこからどうやって受験勉強に向かわれたんですか。
ちょうどその実力テストと前後したころ、たまたま通学路で合唱団の1個上の先輩に会って。「1年前からちゃんと勉強しとけばよかった」「今の出口君ぐらいの時からしっかり勉強やってれば、どこでも行けるよ〜」と言われて、「僕、めちゃくちゃ成績悪いんですけど、僕でも東大行けますか?」って聞いたら、「行ける行ける~」と。もちろん、受験勉強に疲れていた先輩が、その場で適当に返事しただけですよね(笑)。あの先輩に朝の通学路で会わなければ、受験勉強なんてしていなかったかもしれません。
ともかく、その一言で勇気をもらった気がして、12月1日からはじめると決めて、東大をめざして受験勉強を始めました。入試まで13ヶ月しかないのに、中学の内容もほとんど忘れているような状態だったので、点数が積めないところは全部切り捨てて、点が取れるところだけを集中的にやりました。そしたら、運よく東大に受かってしまった。今でも運だとしか思えません。
——ちょっとすごすぎますね……東大に入学した後、専攻はどう決めていったんですか。
そういうわけで、もともと歴史をやりたくて入ったんですけど、歴史の授業があんまりしっくりこなかったんです。人物が生きた物語を聞きたいと思ってるんだから、当然です。それで、次に好きだった文学に進むことにしたんですが、第二外国語のドイツ語は、辞書を教室に忘れてなくしたのをきっかけにやめちゃった。正直言って、他の外国語もおぼつかないから、日本語で完結する国文に、という消去法だったんです。
そしたら、国文の和歌の授業——渡部泰明先生(和歌文学、現・国文学研究資料館長)の授業がすごく面白くて。和歌は文字数が限られているぶん、とにかく語注をつける演習だったんですが、その注が、言葉の裏側にある時代の風俗や感覚を浮かび上がらせてくれる。
——古典への入り口としては、いいですね。
ただ、時代としてはやっぱり近代が好きだったんです。古典文法も得意じゃありませんでしたし。外国語がダメ、古文もダメとなると、そりゃ残るのは近代文学しかありません。当時の東大の国文学専攻は「いま生きている作家はダメだ」という不文律があって、村上春樹でさえダメだと言われていましたから、現代は選べないので、それで近代文学を選びました。
——苦手なことを全部捨てて、学科の制度的な都合もあって、近代文学に行き着いたわけですか。実際に近代文学に進まれてからは、いかがでしたか。
これがまた、とても得意だったとは言いがたいんですよね(笑)。近代の作家は理論や思想を持つ人が少なくないし、エコール、つまり自然主義とかプロレタリア文学とかの主義主張を先に持っていて作品を書くことも多い。ところが、僕は文学部の伝統的な三本柱である「哲・史・文」の中だと「文」と「史」が好きで、「哲」つまり思想的なものは苦手でした。今でもそうです。だから、そこがあまり面白いと感じられなかったんです。何より、難しい文章が苦手です。近現代の批評とかは、ものすごく難しいものも多いから、こりゃダメだと。
——なかなかしっくりこないですね。そこからどうやって、ご専門の幸田露伴に出会うんですか。
国文の勉強会で、先輩たちがすごく難しいことを話していて、僕には全然理解できなかったんです。とても太刀打ちできないなと思って。じゃあ、自分には何ができそうかと考えると、渡部先生の授業で習った注釈はものすごく面白かったし、歴史が好きだから過去の時代や文化を調べるのもまったく苦じゃない。それで、近代文学のなかで一番難しそうな、注釈のつけ甲斐のある作家を探して、先輩の鼻を明かしてやろうなんて思っていたら、出会ったのが幸田露伴(1867-1947)だった。
そこで、安藤宏先生(現・東京大学名誉教授、太宰治研究の第一人者)に「露伴をやりたいんですけど」と相談したら、「まず全集を読みなさい」と言われた。しかたないから、『露伴全集』全44冊を、学部3年の夏休みから読み始めました。大きな漢和辞典が横にないと読めないくらい難しくて、今でもつねに座右に置いているのは『大漢和辞典』なんですが、幸い漢文は得意だったし、まったく抵抗がなかったので、「これは行けるな」と。近代の思想や批評理論を語っている先輩たちの横で、漢籍や仏典をバーッと読んでいるような感じでしたね。
——博士号を取られて、露伴研究を積み重ねていかれたわけですが、そこからどう「画文学」に向かうんですか。
博論も修論も本にして出してしまったら、その時持っているものを出し尽くしてしまった感覚があったんです。文学研究は、基本的に作品ベースで進むので、ひと区切りをつけたあとは、また別の作品を1作ずつ論じていくことになる。でも、それだとよほど新しい角度を提示できないかぎり、前の研究の縮小再生産になりかねない。もうひとつ限界を感じていたのは、作品解釈だけをやっていても、他の学術領域から参照されることがほとんどないんですよね。隣接する国語教育分野の人に、たまに読んでもらえるかもしれないくらいで。思想方面に抜けられればいいんですけど、何しろ抽象的な思考は苦手だから(笑)、行き止まり感を感じていました。
最後は、作家が絵師に出していた起筆前の指示という発見と、そこから画文学研究が立ち上がるまでを伺います。







